近年では、高齢ドライバーによる交通事故が相次いでおり、高齢の親がいる方だと、危ないので「運転免許証を返納してほしい」と思っている方は多いはずです。しかし、そんな思いもつゆ知らず「まだ運転できる」「自分は大丈夫だ」などと、なかなか免許証の返納に応じてくれない方もいるでしょう。
そんな中、4月19日、東京・南池袋で高齢男性が運転する車が暴走し、母娘が死亡したほか、10人が負傷する凄惨な事故がありました。一部の報道には、高齢男性は足が悪く1年ほど前から通院し、主治医から「運転を控えるように」とまで言われていました。
本人も周囲に「車の運転をやめる」と話していたということですが、事故を起こした高齢男性は、都内に住んでおり、交通の利便性がある都市部にも関わらず車を乗っていたことから、本当に車を使う理由があったのかという疑問が残ります。
ここでは、都市部に居ながらも運転を拒む高齢者の心理について考えていきたいと思います。
◇ 喪失感、老いへの抗い
まず、運転免許証の返納というのは喪失感に近いと考えます。年齢を重ねていくと「子どもの独立・両親の死・定年退職・友人の死・配偶者の死」などといった喪失を経験していきます。それに加えて、自分自身も「身体能力・認知機能・外見の衰え」といった変化が生じてきます。これも喪失の一種です。
高齢者には2つのタイプがあり、自身の状況を客観的に判断し「喪失を受け入れる高齢者」と「受け入れない高齢者」がいます。
後者の高齢者は、今まで出来ていたことが出来なくなるという「喪失を受け入れない高齢者」なので、そういった人にダイレクトに「免許を返納したほうがいい」などと言えば、やはり拒否されるでしょう。
そのため、どのように高齢者に「喪失」を受け入れてもらうかがカギとなります。
◇ 車は「自分の分身・象徴」
実は、車というのは移動手段として考えられがちですが、そうではない部分もあります。今では、車はすぐ手に入る時代ですが、高齢者が現役だった時代は、マイカーは憧れの的、そして、苦労してお金を貯めてやっと手に入れるものでした。
さらに、これは今でもそうですが、高級車などは、自身の経済力や地位などの象徴、パーソナリティを表現してくれる存在です。いわゆる、自分の分身です。こういった事から運転免許証の返納(車も手放す事)というのは、自分の存在価値などを失う感覚に近いのだと思います。
◇ 段階的に返納に向けて話し合っていく
家族の人が運転免許証の返納を勧める前に、本人に「年を取ることは喪失である」ということを認識してもらわなければなりません。この事を認識していない段階で、返納を迫るということは喪失を迫ると同じことなので、受け入れづらい状況になるでしょう。場合によっては、意地になることもあります。
そのためには、家族全員で車がなくても、新しい楽しみや環境を勧めるなどして、喪失状態を和らげる努力が必要となります。
その上で、断捨離(生前整理)のように段階的に身近な物から色々と処分していき、シンプルな生活の良さを実感してもらうことが大事です。断捨離の効果が分かれば、車の存在にも目が行くと思うので、その時初めて返納の話をすれば、いきなり「免許の返納をして」というより効果が高まるのではないでしょうか。