高度経済成長期に地方から首都圏に多くの人が集まり、深刻な住宅不足に陥りました。その問題を解消するために造られたのが多摩ニュータウンです。多摩ニュータウンは【多摩市・八王子市・町田市・稲城市】の4市にまたがる多摩丘陵を切り開いて開発された場所で、総面積にすると約2,884ヘクタール、東京ドームに換算すると約474個分の広さになります。
最初の入居は1971年(昭和46年)に諏訪・永山地区から順次開始し、ファミリー層向けの間取り(当時:約40㎡・3Dk)を中心に供給されていきました。月日が流れ入居開始から49年経過した多摩ニュータウンは深刻な高齢化問題に直面しています。ここでの記事では、多摩ニュータウンの高齢化の現状、対策などについてお伝えします。
目次
高度経済成長期の真っ只中、東京では深刻な住宅不足に陥り、それに伴い地価は著しく上昇。そうしたことから、地価が比較的安い市部で急速な宅地開発が進められましたが、民間の無計画な開発が横行し、当時違法な宅地造成が56%占める事態となっていました。
こうした乱開発の防止と大量の居住環境を供給を目的に、1965年(昭和40年)に多摩ニュータウンが計画されました。
第1の入居が開始されたのは1971年(昭和46年)。1974年(昭和49年)のオイルショックで高度経済成長期が終わるとともに、住宅不足は一気に解消。画一的な住宅は販売不振に陥り、【少しでも早くて安い、計画的な大規模都市】から【時間をかけて理想的な都市を作る】という計画に転換しました。
1986年(昭和61年)以降は、昼夜間の人口の不均衡などを解消を目的に【住宅・商業・業務・教育・分化】などの多様な施設が建設され、現在の多機能型ニュータウンとして生まれ変わっています。
東京南西部に位置し【東西14km、南北2~3km、総面積2,853ha】の広さを誇ります。それ故に、多摩ニュータウンの高齢化は地区ごとによって差があるのが特徴です。
多摩ニュータウン全体の世帯数は、令和元年11月時点で約10万世帯(前年比約1,200世帯増)、人口は約22万4,000人(前年比約150人減)。65歳以上の高齢者の人口は約5万5,000人(前年比約150人減)、高齢化率は約24.4%(前年比0.5%増)となっています。
市 | 世帯数 | 人口 | 老年人口 | 高齢化率 |
---|---|---|---|---|
多摩市 | 48,020 | 99,208 | 30,112 | 30.4% |
八王子市 | 37,336 | 86,685 | 18,032 | 20.8% |
稲城市 | 9,735 | 26,024 | 5,049 | 19.4% |
町田市 | 4,561 | 12,031 | 1,554 | 12.9% |
合計/平均高齢率 | 99,652 | 223,948 | 54,747 | 24.4% |
※令和元年10月1日現在
多摩ニュータウンの当初の計画では【入れ替わりによる転出入が生じる】と考えられていましたが、子世代の転出が予想よりも多く進む一方で、親世代は団地に住み続けているのが現状です。
その中でも初期に入居開始となった【諏訪・永山地区】が子世代が流出し、親世代が残っている構図が顕著に出来ており、且つ急速に高齢化が進んでいます。
参考文献:東京都都市整備局
多摩ニュータウンの人口は、人口全体で見れば増加していますが2050年頃には多摩ニュータウン全体の人口は今よりも7%減り、多摩市域のニュータウンだけに限ると27%も減ると見込まれています。
特に、人口減が顕著なのが初期開発エリアの諏訪・永山地区で人口の32%減少すると見込まれています。現在の高齢化率は10%を超えている状況ですが、若い人が転入してこない限り、高齢化率は上がり続けていくことでしょう。
多摩ニュータウンが高齢化へ進んだ要因は、若者世代が都市部に住むようになったからと考えられています。
1992年(平成4年)、新住宅市街地開発法の一部改正が行われました。主に『利便性の良い駅周辺を業務地として使用する』というものです。当時の地価は年々上がり、企業には金銭的な余裕があったため、都心部から離れた多摩地区にあえてオフィスを作る必要はないことから、都心に多く建てられました。
そうなると、ある程度の所得を持つと通勤にかける時間よりも、少し家賃が高くても職場から近い住居を選ぶようになっていきます。多摩ニュータウンに住んでいた子世代も、当然そのような選択肢になります。
● 【永山団地から新宿駅】までの電車通勤のイメージ
朝7時に永山団地を出て新宿駅まで片道50分前後かかります。総務省統計局の平成28年社会生活基本調査(※)の結果によりますと、平日の通勤時間は男性で1時間26分(片道43分)、女性で1時間7分(片道33.5分)。永山団地からだと男女ともに通勤の平均時間を超えているのが分かります。
所帯を持たない若者の所得が上がれば「職場の近くに住みたい」、「ショップがたくさんある場所、華やかな場所に住みたい」「飲んでも帰りやすいところに住みたい」「自分の好きな間取りに住みたい」という考えになるのは必然のことです。
若者世代と多摩ニュータウンではライフスタイルが合わないことからも、多摩ニュータウンが高齢化していった要因でもあります。
※参考文献:総務省HPより
諏訪・永山地区の団地が建てられてから49年。さすがに半世紀も経つと建物の老朽化が目立ってきます。また、広さ40㎡で間取りは3DKが当時の基本形で、いかにも【THE・昭和】を思わせるような間取りになっています。
40㎡の広さなら、今なら1LDKや2DKといった広々とした空間の間取りですが、高度経済成長期の時代では40㎡に無理やり3DKにして、一家4人で暮らすのが一般的にでした。
しかし、子どもたちも成長し就職すれば、上記で説明した若者の価値観や通勤時間などの観点から大半の子は1人暮らしをするため団地を出ていき、Uターンもしないため、結果、団地の高齢化率が上がります。
新たな転入者についてですが、広さや間取り、それに加えてエレベーターがないマンションがほとんどのため、若者世代が諏訪・永山地区の団地を敢えて選択するというのは、少々考えづらいのが実情です。
こうした問題は、時が経つにつれて他の地区でも同様なことが起きてくるため、子世代のUターンなどを誘導できるような対策が必要となります。
多摩ニュータウンは、多摩・八王子・稲城・町田の4市と異なる行政で構成されているため、より強固に連携していく必要があります。ただ、行政が違うと足並みを揃えることは容易ではありません。例え、これらをクリアしたとしても、どうすれば若い世代が来やすいのかを考えなければなりません。ここでは、多摩ニュータウンの高齢化対策についてお伝えします。
本記事でも触れているように、最初に入居が開始された諏訪・永山地区では49年の歳月が経っています。半世紀も経っているのに加えて、エレベーターのない中低層の建物では、子育て世代にはかなり受けが悪いのは明白です。
こうした事態を受け、2010年に諏訪2丁目住宅のマンションの建て替え決議の可決後、建物解体し、着工が開始されました。そして、2013年秋にブリリア多摩ニュータウンが竣工しました。
建て替え後は、5階建ての団地23棟は14階建ての高層マンション7棟になり、住戸数は640戸から1,249戸へ増加。建物も新しくなったことから30~40代の子育て世代も流入し諏訪地区の高齢化率が32%から24%へと一気に降下しました。
新たに入居した約600世帯の住民も含め、世代別の交流会や四季折々の行事が頻繁に繰り広げられており、住民によるサークル活動も30あるということです。
ブリリア多摩ニュータウンのように、他の地区でも子育て世代を狙ったマンションへの建て替えをすることで高齢化率の低下が期待でき、且つ人口増加になると考えられます。
東京都と大阪府を結ぶリニア新幹線。全線開通は2037年とされ、東京と名古屋は2027年の開通を予定しています。そして、橋本駅周辺にリニア新幹線が停車する駅が決まっており、その周辺でのインフラ整備計画が着々と進められています。そのため、橋本駅までのアクセスしやすくすることで多摩ニュータウンの価値が出てくると考えられます。
また、リニア新幹線以外にも鉄道整備、道路のネットワーク整備などといった広域インフラの整備を行うことで人が住みやすくなり、結果、人が集まり高齢化率を下げることができます。
いかがでしたでしょうか。
多摩ニュータウンを知らない人からすれば、関係のない話かもしれません。しかし、全国各地にある政令指定都市であれば、多摩ニュータウンのようなベッドタウンは必ずあるはずです。私も過去に札幌市に住んでいたことがありますが、札幌市でも中心街には若者が住み、市外および隣接市に高齢者や中年層(親世代)が住むという多摩ニュータウンのような構図が所々出来ていました。
街は、時代のニーズによって変化していくため、その時々に合ったものに変化していかなければなりません。ブリリア多摩ニュータウンのように、子育て世代および若者世代が住みやすい街づくりが高齢化を防ぐカギとなるのではないでしょうか。