志村けんさん(70)が死去 新型コロナに感染

新型コロナウィルスに感染し闘病していたタレントの志村けん(本名・志村康徳(やすのり))さんが、2020年3月30日に亡くなったことが分かりました。70歳でした。

今月17日に体調不良を訴える

志村さんは、今月17日から倦怠感の症状があり、19日に発熱や呼吸困難の症状が出現。20日に都内の病院に搬送され、重度の肺炎と診断され入院しました。診察時に新型コロナウィルスの感染が疑われたため検査をしたところ、23日夜に陽性が確認されたということです。

志村けんさんの新型コロナウィルスの感染の経過

● 3月17日:倦怠感の症状が出現のため、自宅静養を開始。
● 3月19日:症状のの悪化。発熱・呼吸困難の症状が出現。
● 3月20日:訪問診察をした医師の判断により、都内病院に救急搬送。重度の肺炎との診察を受け入院。
● 3月23日:新型コロナウイルス検査の結果【陽性】が判明。
● 3月24日:保健所による調査が行われ、新型コロナウィルスの発症日と濃厚接触者の特定が完了。
● 3月25日:所属事務所が感染を公表。
● 3月30日:東京都新宿区内の病院で逝去。享年70歳。

志村けんさんのプロフィール

● 芸名/本名:志村けん/志村 康徳(しむら やすのり)
● 生年月日:1950年2月20日
● 身長/体重:身長166.7cm/体重65.3kg
● 血液型:A型
● 職業:コメディアン・お笑いタレント(ザ・ドリフターズのメンバー)・司会者
● 所属事務所:イザワオフィス

~来歴~
・1950年2月20日、小学校教諭だった父・憲司(けんじ)と母・和子(かずこ)の三男として東京都北多摩郡東村山町(現:東京都東村山市)に生を受ける。芸名の【けん】は父親の名前から来ている。
・1968年2月、高校卒業間際に【いかりや長介】の家へ直接訪問し、弟子入りを志願。加藤茶氏の付き人になるも1年余りで脱走し、バーテンダーなどのアルバイトをしていた。その後、加藤茶氏の家に行き、いかりや長介氏へ口添えをしてもらい出戻りを認めてもらう。その後、加藤茶氏の付き人兼加藤家居候となった。
・1972年、22歳の時に井山淳氏とお笑いコンビ・【マックボンボン】を結成し、【志村健】の芸名で芸能界デビューする。同年12月31日放送分の番組が打ち切りとなり、井山氏が脱退。その後、自衛隊出身の相方を迎えるも、相方はネタ合わせなど全く身が入らなく、コンビは自然消滅へと向かった。その後、志村さんはドリフターズの付き人に戻り、1973年12月に【メンバー見習い】の扱いで【志村けん】に改名した上でドリフに加入した。
・1974年3月31日に荒井氏が脱退し、同年4月1日に正式にドリフのメンバーとなった。

主演映画を控えていた

山田洋次監督の最新作【キネマの神様】に出演することが決まっていたが、新型コロナウィルスの感染を受け、主演を辞退したことを2020年3月26日に所属事務所と配給の松竹が発表。

所属事務所であるイザワオフィスの社長は「今年70歳を迎えた志村にとって、本作品は人生で初の主演映画ということもあり、大きな勇気と強い意気込みで臨んでいました。それだけに、山田組の皆様にご心配とご迷惑をおかけする事になってしまい、志村も私共も、大変申し訳なく思っております。そこで此度、出演を辞退させて頂くことに致しました。作品のご成功を心よりお祈りすると共に、志村が病に勝ち、いつかまた山田組の皆様と一緒に撮影をさせて頂くことを願っております(※)」とコメントを寄せていた。
※引用:映画.comより

ネットの反応

・なんか身内が亡くなったような気持ち。
・わんちゃんとか急にご主人様がいなくなって悲しいだろうね…。
・不謹慎かもしれないが、志村けんさんは亡くなられたけどこれで少しは国民の危機感は高まったんじゃないかな…。
・正直志村けんが亡くなるとは思わなかった。驚いた。
・これを機に少しでも多くの人が危機感を持ってくれることを願いたい。
・中国政府、WHO、日本政府が早くから動いていればこんなことになってなかっただろ。
・中国ウイルスこれでもなお、責任逃れでシラを切るならキレる。